あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

友人との外出

退院してから2年目。周りの私の親しい友人も私の状況をわかってくれ、理解を示してくれた。手術をする前は、仕事もしていたが、仲良くしていたいわゆる「ママ友たち」との交流が楽しみだった。 特に長男の中高でのお友達は、仕事をしている方々が多く、個性…

日常生活   2

当初は、家族の洗濯を夫が干してくれていた。二階の子供たちの部屋に部屋干ししていた。当時は次男が部活をしていたので、その量はかなりのものだった。 夫は海外出張に出ることが多く、不在の時は、私が干すようにしていた。自分の寝ているリビング脇の和室…

日常生活  1

退院直後は、当時、大学1年を終える長男が、長い長い春休みで家にいた。次男も3月半ばから春休みに入った。だから、私が昼間家でひとりになることは、ほとんどなかった。 が、息子たちもずっと家にいるわけではなく・・・4月になると、ふたりとも学校へ戻っ…

料理のサポート

なんだかんだ言われようが、この家族の毎日の食事を準備するのは、結局私だった。でも、現実的には、日々の料理を全て作っていくのは、やはり、とてもとても大変だった。「うーーん」と悩んだ。作れるものは限られてしまうし、同じようなものばかりじゃ、飽…

それでも料理

いろんなことを言われても、私には「料理」くらいしかできることがなかった。以前のように美味しく見栄え良く作ってやろう!と、気持ちを奮い立たせた。文句言わせないように、と半ば「意地」になっていた。 が、現実はそううまくいくわけもなく、片手での料…

過ぎていく日々

52016年2月に退院してから、とりたててなにをするでもなく、日々が過ぎていった。脳外科への診察は、1jか月に1度。最初の脳梗塞で運ばれた家の近所の東船橋病院に通院した。 毎日、大量の薬も飲まねばならないし、薬をもらいにいく必要が常にあった。…

退院後すぐの生活

退院後すぐは、先程書いたように、ほぼ、何もできずにいたので、通ってきてくれる実母になんだかんだとしてもらっていた。現在のように、料理も洗濯も、掃除もできるようになるまでには、かなりの時間がかかった。 食材等々は、日曜日に、夫がスーパーへまと…

退院

2016.2.6.。約半年間入院したリハビリテーション病院を、やっと退院できた。朝イチで、外泊の時と同様に、1コマリハビリを受けた。たしか、PTのえりな先生は、お休みだった。リハビリ後、夫と実母が車で迎えに来てくれた。 退院前に病棟のスタッフステーショ…

2016/2/6 退院

2016年1月末。やっとのことで、なんとか、約半年弱入院した船橋リハビリテーション病院からの退院が2月6日と決まった。 待ちに待った退院。去年の真夏の右脳のバイパス手術から半年。自宅を出るときとは全く変わってしまった自分は、家に戻って何がで…

2016年お正月

2016年、新年。私はまだ、病院にいた。 「たぶん2月のあたまに退院」という話がやっとでてきた。 1月2日から、通常通り、再びリハビリに明け暮れる日々がはじまった。そう、リハビリは休んでは意味がないのだ。不自由な身体は、動かしていないと、硬…

2015年の大晦日  自宅へ外泊

2015年 この年は春から本当にいろいろなことがありすぎた。激動の、一生忘れることのできない年になった。 12月31日。大晦日。私はまだ、入院中。夏には全てが終わっているはずだった・・・家族もそう思っていた・・・のに・・・。この日、私は主治医の許…

料理のリハビリ

退院後、私は家で家族のために、毎日料理を作らなければならない。 そもそも、リハビリは、退院後、自分でしたいこと、せねばならないことをできるようにするため、である。 私にとっては、今まで迷惑をかけた家族に対して、せめて、主婦として、母として、…

自宅の改修

12月、まだ退院の話はでなかったが、近く、退院し、我が家に戻った時に、今のままでは暮らせない、ので、自宅を作業療法士の先生に見てもらい、どんな点に改修が必要かを確認してもらった。 結果、我が家は当たり前にバリアフリーではなく、逆に段差が多い家…

入浴

2015年11月末頃、この頃は、1日おきの入浴は自分ひとりで入っていた。例によって、入浴自立OKの認定をもらうにあたって、何人かのスタッフの前で一人で入浴した。もう、恥ずかしいとか、どうでもよかった。 歩いて浴室まで病室から行き、服を脱ぎ、フリーハ…

外歩き

11月頃には、杖を使って、ゆっくりなら歩けるように。 リハビリの時間も、担当者と1階のリハビリ室まで歩いていった。 ロボットの訓練はとっくに終わっていて、あとは、杖を使ってどれだけスムーズに歩けるかが課題だった。 秋も深まり、10月半ばにはラ…

病院での入浴

病院では、1日おきに入浴ができた。 最初はもちろんケアワーカーさんや看護師さん、または、療法士の先生らにほとんどをしていただいていた。 車椅子で浴室まで移動し、脱衣所の椅子に移動。 着替えも最初は全くできなかったので、服を脱ぐところから至れり…

リハビリテーション病院での大切なお友達

前に書いたように、入院初日の食堂は、スタッフに誘導されたテーブルで何も考えずに食事をした。数日後、昼食の時に、座る場所を探しながら車椅子をおしてもらいうろうろしていると、一人の元気な女性から声をかけてもらった。タイ人のラムさん。 後に私は彼…

課題のクリア

リハビリテーション病院では、各自、段階ごとにクリアすべき課題が課せられ、看護師や担当者、病棟のケアワーカーさんらの採点があって、それをクリアしていくことで、生活の状況が変わってくる。いわば「テスト」のようなもの。 例えば土台がものすごくしっ…

リハビリの毎日

船リハでの生活。 朝からぎっしりリハビリの時間割。1コマ45分で、1日朝9時から夕方、最高5時まで。その日によってスケジュールは変わる。 「理学療法」 とにもかくにも「歩ける」ようになること、が最終目標。自分の足で、自力で歩けるように! 私の左…

リハビリ三昧の生活

昼食後、早速、リハビリが始まった。この病院には、リハビリの「お休み」の概念はまるでない。先ほどのPTが部屋に来た。まずは、「立つ」練習。この時はまだまだ自分で立つことはできなかったから。訓練に使う左足の「装具」を持ってきた。仮のもの。 初日は…

リハビリテーション病院での生活

船橋市立リハビリテーション病院~とってもキレイな正面玄関を入ると、左手に、オシャレなカフェが。 受付脇の椅子に座っていると、 男性の看護師さんがやって来た。 背の高い若い男性。 優しさ溢れる笑顔で迎えてくれ、車椅子でエレベーターへ。北病棟の3階…

転院   リハビリ

2015.9.6 私は、手術した女子医大医療センターから船橋リハビリテーション病院に転院した。 朝イチで退院手続きをし、実母、夫と三人で介護タクシーで病院へ向かった。病室以外の院内、数か月ぶりの外の世界、見慣れた八千代から船橋への景色。車椅子のまま…

幻覚、入院生活

手術から、目が覚めて以降のこと・・・は、実は退院後に実母から細かく聞いた。 手術直後、目が覚めるまで・・もしくは目が覚めてから・・私はずいぶんおかしなことを話していたようだ。 ありもしない、現実とは違うことを。 「幻覚」なのかもしれない。まず…

手術   現実を受け入れるまで

手術台に横たわると、すぐに頭の上から麻酔医が、「楽にしてください・・・目をつぶって、眠っていいですからね」と話した。左手に、点滴の針が新たに刺され、またも、針が刺さっている部分がじわっと熱くなった。左側に立った先生が、「まずは、結婚指輪を…

入院、いよいよ手術

2015.7.22 私は50歳。もやもや病のバイパス手術を受けるためにこの日入院した。当初の主治医の話では、約10日程度の入院・・・のはずだった・・・ が、実際には私が自宅に戻ったのは翌2016年の2月初めだった。約半年以上に及ぶ長い入院生活。この手術から…

手術までの1か月

約1か月後のバイパス手術を決め、6.25に検査入院から退院した。 1か月の間、なんとなく脳がふわふわしたまま過ごした。この間、手術後にはすぐにできないと思われたことをした。夫と何度かデートした。久々に。 もはや、息子たちは私達親とは出かけなくな…

検査入院続き

6.24 今回の検査の中で、最も辛いかも…と言われていた検査「アンギオ」。 脳のカテーテル造影検査。1日目の検査で懲りたため、眠りながら検査してもらうことに・・・ 検査室に入り、まずはくすぐったい剃毛・・ そして、「鎮痛剤、鎮静剤を点滴しますよ」と…

検査入院

日本人には1万人しかいない「もやもや病」の患者のひとりになってしまった。 数年前から時折、頭のふわふわ感、過呼吸、耳鳴り、めまい、等々の症状があり、時に過呼吸がひどい時は、時折救急車を読んでは病院に搬送されていた。 その都度言われたのが「パ…

もやもや病の治療へ

「難病」・・・なんで、私なの? よく聞かれる、そのままの言葉が頭をよぎった。 息子たちは大きくなったとはいえ、まだ成人していない・・・ 死ぬのだろうか? 生まれて初めて「死」を考えた・・・ とにかく、脳の病気というだけでひたすら怖かった。 完治…

脳梗塞、入院、難病の告知

忘れもしない2015年5月2日。世間はGW真っ只中。 その春、長男が第一志望の大学に無事進学、高校からのお友達や、私の仲良しのママ友たちと、4月1日に、桜咲くキャンパスでの入学式にでかけたばかり。 当時私は、イオンモールの旗艦店であるイオンモール…