もやもや病の治療へ
「難病」・・・なんで、私なの?
よく聞かれる、そのままの言葉が頭をよぎった。
息子たちは大きくなったとはいえ、まだ成人していない・・・
死ぬのだろうか? 生まれて初めて「死」を考えた・・・
とにかく、脳の病気というだけでひたすら怖かった。
完治はしないとも言われた・・・ということは、私は死ぬまでもやもや病を、脳の病気を抱えながら生きていくんだ・・・
なにはともあれ、まずは今の脳梗塞を治さないと・・・!病院のベッドの上で
嗚咽した。スマホの、もやもや病」の画面が滲んで見えた。細かい説明なんて、その時の私にはどうでも良かった。
1週間で退院できた。入院中、リハビリもした。が、左足、左手の違和感は2,3日ですでになくなっていて、元通りになっていた。退院説明の際、もやもや病の専門外来の紹介を受けた。
入院していた病院では、バイパス手術はできないとのこと。
お隣の八千代市にある東京女子医大の脳神経外科を紹介していただいた。
「もやもや外来」があり、バイパス手術も何件も結果をだしていた。
専門のドクターがいるからと、紹介状を書いてもらった。
当時の主治医に「気を落とさなくて大丈夫。バイパス手術で普通の生活がちゃんと送れるよ」と言われ、「女子医大の先生にとっては難しい手術じゃあないから」と元気づけられた。
当座、再度、脳梗塞や脳出血を起こさないよう、安静に・・・ということだったので、しかも、その後、たぶん、バイパス手術を受けることを考えて、しばらく仕事はお休みすることに決めた。不本意だったが、仕方なかった。退院後、久々の専業主婦生活をした。
6月、夫と東京女子医大八千代医療センターへ初めての診察へ出かけた。
「もやもや外来」・・・
私のようなもやもや病の患者さんたちが待合室を埋めていた。こんなにいるんだ・・・というのが第一印象。私だけじゃないんだという現実が安心させてくれた。
また、小さい子供が多いのには正直驚いた。
診察室には川島医師がいた。
後に私のバイパス手術の執刀医となるドクター。
診察前に撮ったMRIの画像を見て「もやもや病で間違いありません」と言われた。
CTよりも細かな鮮明な画像に私の脳の細く消えそうな血管が映し出されていた。
「早く手術しないとまた脳梗塞起こしますよ」と、即座に言われ、もやもや病についての一通りの説明を受けたあと、こちらの気持ちはまるでどうでもいいように、入院と手術の話を早速された。「脳の手術ですから、少なからずリスクはあります。でも、僕らは何件もこの手術を行ってきていますから、大丈夫ですよ」と、自信満々に話された。この時既に、私自身、手術を受けることは決めていた。
だって、他に手段がないのだから・・・。