あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

手術までの1か月

約1か月後のバイパス手術を決め、6.25に検査入院から退院した。

1か月の間、なんとなく脳がふわふわしたまま過ごした。この間、手術後にはすぐにできないと思われたことをした。夫と何度かデートした。久々に。

もはや、息子たちは私達親とは出かけなくなっていた。

幕張のアウトレット。勤めていたイオンモールのそばをバスで通った。懐かしかった。

買い物のあと、『いきなりステーキ』を食べた。そのあと、海浜幕張駅の近くのハワイアンカフェで搾りたてのグアバジュースを飲んだ。あまりに美味しかった。

 

別日、初めて柴又帝釈天へ。駅前の「寅さん」像を初めて見た。参道にある様々なお店が新鮮だった。お団子屋さんが多く、粒あんのかかった草団子を食べたり、ソフトクリームを食べたり・・・昭和感溢れるお店でもつ煮をいただいたりと柴又を楽しんだ。

帝釈天の歴史ある彫刻を見たり、荒川?の土手を歩いたり・・・して、真夏の暑い柴又を歩いた。その後浅草へ。ふたりで、「まぐろそば」のお店に入り、お昼ごはん。いつも子供たちが一緒にいたここ10数年とは違い、久々の夫と二人。そんな時間がとても楽しかった。

 

いまでは本当に素敵な思い出。その後は、淡々と専業主婦しながら、手術までの日々をすごした。

特に具合が悪くなることもなかった。自分が病気であることが不思議だった。それまで、「パニック障害」で通っていた病院、クリニックへは行かなくなっていた。

パニック障害なんかではなかったのだから・・・家族には、「手術、大丈夫。がんばってこい」とだけ言われた。それ以外は夫も息子たちも何も触れなかった。

それは、不安な毎日を過ごす私にとってはありがたかった。