あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

2015年の大晦日  自宅へ外泊

2015年   この年は春から本当にいろいろなことがありすぎた。激動の、一生忘れることのできない年になった。
12月31日。大晦日。私はまだ、入院中。夏には全てが終わっているはずだった・・・家族もそう思っていた・・・のに・・・。

この日、私は主治医の許可を得て、数か月ぶりに、5か月ぶりに自宅へ帰った。1泊の外泊。うきうきした。朝食を済ませ、1コマリハビリをし、(こんな日でもリハビリにお休みはないのだ)夫が車で迎えにきてくれた。
自宅までの見慣れた景色。病気になる前の私は、車の運転が大好きで、音楽を聴きながらよく市内を運転した。だから、この船リハからの道はよくわかっていたし、義母の入院中は、車でしばしば通った道。
車の運転も二度とできないと思うと、悲しかった。自宅に到着。何事もなかったかのように息子たちが迎えてくれた。が、半年近く留守にしていた私をわからなかったのは愛犬・アンである。遠くからじーっと見てはいるものの、最初は誰だ??という表情だった。月日とは恐ろしい。家の中は、なんとなく雑然としていて、常にきれいに掃除、整理整頓していた私にはやや居心地が悪かった。(仕方ない、男所帯だし・・・)
家を出る前は段差だらけだった1階も、この時既に段差がきれいになくなっていた。ありがたかった。
毎年、大晦日は、実母がひとりで住む実家に兄家族と集まり、食事、年越しそばを食べてそれぞれ帰宅するのが例年。
この日もあわただしくはあったが、実家にでかけた。実家も数か月ぶり。父の仏様に、「もうすぐ帰れるよ」と報告し、皆でお寿司やら、カニ等々の年末のごちそうを食べた。
帰宅後、この日は、1日だし、「危険」なことは避けたかったので、入浴はしなかった。居間に続く和室でお布団を2枚並べて久々に夫と休んだ。この「布団」を敷いて床に寝るという行為が、私にとってはかなり大変。なにしろ、布団からすくっと立ちあがれないので、布団の横、枕の横に丁度いい高さの椅子を置いて休んだ。立ち上がる時に、この椅子を使って座面に右手を置き、立ち上がる方法でしか私は布団からたちあがれなかった。この動作は作業療法の時間に訓練し、外泊に出る前に夫と二人でもう一度動作の確認をした。何かあった時に介助してくれるのは夫しかいないので、夫もしっかりとレクチャーされた。
何においても冷静に割と難なくこなす夫は、この動作確認も完璧で、私は安心して眠ることができた。病気前は、耳触りでうるさくしか感じなかった夫の「いびき」も、この日だけは、「隣にいてくれてる」安心感になった。案の定、夜中にトイレに起きた。夫を起こし、立つのを手助けしてもらい、トイレにいった。朝までぐっすり眠れた。元日の朝、再び実家へ。昨夜と同じメンバーで新年を祝い、おせちとお雑煮を食べた。1泊の外泊は、お昼過ぎには病院にもどらなければならなかった。
慌しい帰宅ではあったが、現実の生活が少し垣間見えて、自分にとって、有意義な時間になった。これから、退院までの時間で、大晦日に休んだ和室に介護ベッドを入れ、トイレや浴室に私の動作で必要な手すり等々を準備することになっていた。

昼過ぎ、昼食を終え、病院に戻った。帰るとなんと、リハビリがあった。「帰ったら当面、慣れるまでいろいろ暮らすのも大変なんだろうなあ」と思いながらも、住み慣れた懐かしい自宅へとにかく早く帰りたいと、以前にも増して思うようになった。


でもまだ、退院は決まっていなかった。