あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

2016年お正月

2016年、新年。私はまだ、病院にいた。
「たぶん2月のあたまに退院」という話がやっとでてきた。
1月2日から、通常通り、再びリハビリに明け暮れる日々がはじまった。そう、リハビリは休んでは意味がないのだ。不自由な身体は、動かしていないと、硬く動かなくなってしまうのだ。だから、お正月からリハビリ。
退院の時期が少しずつ近づいてきて意識も少し変わってきた。今まで通りとはいかなくても、あの家で、自力で暮らしていかねばならない。他に行くところはないのだから・・・。だからこそ、自分でできる事柄をすこしでも増やしていかねばならない・・・と考えるようになっていた。特に作業療法の時間に生活に必要な多くのことが学べた。片手での衣類のたたみ方、洗濯の干し方、食器の洗い方。主婦としてできることを少しでも増やしたかった。
家族に迷惑をかけないように・・・。
1月の半ば。普段から海外出張の多い夫が、「来週は中国に出張だから病院にはこれないよ」と言った。「わかった」と承知した。わたしがいない自宅では、父親の不在中、息子たちふたりなんだなあと漠然と思った。
早く帰んなきゃ・・・。

理学療法の時間に公共交通の練習の日があった。1月の半ば。多くの人は病院前からバスで船橋駅に出て、西船橋駅までJRに一駅乗ることになっていた。
がしかし、私はまだまだできないという判断だったのか、病院前からほんの一停留所バスに乗るだけだった。
夫も同席した。
病気後初のバスは、乗り降りが想像以上に大変で、半ばパニックになりながらなんとかクリアーした。特に降りるのが大変だった。
左足を歩道に降ろすのがとってもきつく・・・かといって、車道だと、歩道への段差を登らねばならない・・・私の大苦手な「段差」を、実践するのは苦痛であった。