あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

日常生活   2

当初は、家族の洗濯を夫が干してくれていた。二階の子供たちの部屋に部屋干ししていた。当時は次男が部活をしていたので、その量はかなりのものだった。
夫は海外出張に出ることが多く、不在の時は、私が干すようにしていた。自分の寝ているリビング脇の和室に。小ぶりの洗濯干し(部屋干し用)に、工夫しながら大量の洗濯物を欲しきるのは、私にとっては、至難の技だった。入院中の作業療法の時間に洗濯の干し方(ピンチへのつけかた、ハンガーへの服の掛け方などの練習)はある程度練習したが、もともと不器用な私はその時点で、上手く洗濯物を扱うことができなかった。
だから、最初は、本当に大変で、息子たちの裏返しを直すところから始まって、ハンガーにシャツや、トップスをかけるのに、一枚に、本当に5分程度かかった。


そのうち、本当にいつの間にか・・・・・
誰に言われたわけでもなく・・・家族4人の洗濯物を全部私が干すようになっていた。
これは、私自身が勝手に、やりだしたこと、
夫の出張時にできるなら、通常だってやればいいじゃん、と思ったのである。
その代わり、以前のように、ベランダに出て、外干しできるわけではもちろんなく、あくまでも自分の和室の小さな洗濯干しに干すわけだから、当然、部屋干し。
なかなか乾かないので、家族4人が入浴を終え、全員のその日の洗い物が出てから洗濯機を回した。
夫の帰りは大体遅く、入浴も23時前後が多いので量が多い時は洗濯機が洗い終わるのが0時をまわることもしばしばだった。
それでも、洗濯はがんばりたかった。
できないことを克服して、家族のために、なんでもいいからしたかった。自分の存在価値を示したかった。
最初はとにかく時間がかかった。干すだけで20分、30分が日常茶飯事。

でも、「大変!」と思いながらも「自分でやり始めたこと、誰に頼まれたわけでもなし、勝手にやりだしたんだからがんばれ!」と自分に言い聞かせ、毎晩、頑張ってみた。


それは、現在でももちろん続けていて、あれだけかかっていた時間も、今では10分足らずですいすいできるようになった。だから、「慣れ」と「繰り返し」なのである。
我が家には褒めてくれる心優しい者は誰もいない。ほんの一言、「できるようになったじゃん、良かったなあ、助かるよ」なんて言ってくれたら、もっともっと頑張れるのに・・・といつも思ってしまう。誰に褒められたくてやってるわけではないけれどそんな些細なことが、人のやる気を盛り上げてくれるのは確かだ.。まあ仕方ない。


洗濯干しも、ベッドに座りながら、自分の右側に服を広げてハンガーやらに袖を通していく、どんなに大量でも・・・
なんとかなるものなのである・・・。



退院から2年経った頃、東船橋病院の脳外科の担当医~主治医が変わった。
東大病院の脳外科にも勤める野村医師。40代前半の沖縄出身のイケメン先生。

なんでもはきはきと答えてくれる元気な先生だった。
彼は、東大病院で、「もやもや病」の「バイパス手術」を数件経験したことがあるということで、自分の病気の話も大変しやすかった。
この先生に今までの経緯を全て話した時に、「僕らもバイパス手術、もちろんしますけど、市川さんのようにはなりませんよ。正直言って『失敗』ですね」。

面と向かってこう言われた。多くのひとは、「ひどい、言い過ぎ」と思うのかもしれない・・・
が、私はこの時、手術から2年以上経って初めて、この医師の一言で救われた気がした。ずっと思っていた。私の手術は「失敗」でしょ??って。

もやもや病のバイパス手術は成功した。だから、右脳の血液は本当にきれいに良く流れています。結果、血流がよくなりすぎたからこそ起こってしまった脳出血です、と執刀医からは説明があった。つまり、前記のように、リスクは必ずやあるんだ、前もっていいましたよ・・・の流れ。

でも、そう言うなら、血流が良くなった結果の脳出血は、簡単に予測できたのでは?と思ってしまう。
だから、私にとっては、決して「成功」なんかではなく、こんな身体になったんだから、あくまでも「失敗」なのである。

だって、手術後、目が覚めたらいきなり、術前の自由な当たり前の生活が見事に奪われてしまったのだから。


ずっと思い悩み、納得できずにいたことを一言でバシっと言ってくれた医師。同業者の味方をするでもなく、自分の経験を踏まえて、正直に「失敗だよ」といってくれた医師。
すーっと胸のつかえがとれていった。
「ほら、失敗じゃん」と初めて手術に向き合えた。


しばらく、この先生にお世話になって、例の「左脳の手術」の相談をした。