あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

要介護から要支援へ

介護保険のみなおしが3月にあり、とりあえず、「要介護1」が認定された。
過去に1回、「要支援1」までステップアップしたことがある。が、当時、今現在のサービスを受けられなくなることに懸念があったため、なんとか「要介護」に戻そうと、ケアマネさんと相談し、「市」の判定職員との面談で、嘘ばかりを並べた。今や実母のヘルプは何もうけていないが、「週に1度は来てもらい、家庭のことを助けてもらっている」とした。また、歩くのも家のなかでも、壁やあらゆるものにつかまって・・・などとした。が、これは、嘘である。家の中では杖はもちろん使わないし、壁や物につかまってあるくこともほとんどない。ましてや実母は今でこそコロナの感染を恐れ、一歩もそとへは出ずにわが家へもこないが、それ以前からわが家へは用事がなければこなくなった。美容院へ行くときくらいか・・・。
それも、実際にはひとりで行けるはずの私が甘えているだけのこと。家事はほとんど自分一人でやり、できないことは自費でヘルパーさんをお願いしている。


今回の「要介護1」は、半年の認定で、ほどなくまた、「認定の面談」があると思われる。
そこで、今日、月例の訪問に来たケアマネさんから「次の要介護の認定は難しいかも・・・だから、認定期間が、半年なんだと思うよ」と言われた。
要介護と要支援の違いは・・・「週2のヘルパーが、週1で、時間も短縮、通所リハビリのみで、訪問リハは、停止、ケアマネさんもダイレクトにではなく、包括支援センターで、わたしは管理される・・・」と変化があるらしい。今のサービスがうけられなくなると、自身の生活に支障をきたすから要介護をなんとか・・・としてきていたのであるが、実際、ヘルパーさんが週1になったり、リハビリは週1になっても、あまり困らない・・・のである。問題があるとすれば、公共交通機関の練習ができなくなる・・・ということくらい・・・である。週1の懐かしい船リハのスタッフとの時間がなくなり、生活に即したリハビリがうけられなくなることは残念ではある。外歩きや、ちょこっとした買い物も自分で全てしなければならなくなる。
が・・・、いつまで、私はヘルパーさんやあらゆる人に頼りながら生活していくんだろう・・・もう、退院してから4年、発症してから丸5年がたつのである。いい加減自立しなきゃいけないんではないか・・・。だったら、「要支援」にかえて、自立の道を突き進むべきでは・・・とおもったりしているのである。
ケアマネさん、ヘルパーさんからの「卒業」をしなきゃいけないんでは・・・と強くおもうのである。
これ以上、「嘘」の面談を繰り返し、「要介護」に縛られる必要があるんだろうか・・・。
潮時なんではないだろうか・・・

今日、船リハの訪問リハがあり、1年以上お世話になっている担当PTが来たので、「要介護」「要支援」について話をした。
「そう、いつかは卒業するんですよ・・・」と言われたものに、両者での「懸念」は、やはり、「公共交通機関にひとりで乗れること」という最大の目標を全く達成できぬままであるということ。交通機関を利用できるようにすることももちろん、自分の生活にそくしたリハビリを受けられること、が、訪問りはの最もありがたい点である。数度の転倒で、外歩きへの恐怖感を持ってしまい、ひとりで外へ出られなくなってしまった私を少しずつ復活させてくれたのも、紛れもなく、訪リハのPTさんであるし、バスへの乗り降りに実際に付き合ってくれたのも彼女である。
通所のリハビリでは、到底できないことをしてくれるのが訪リハで、それこそが私にとってはありがたいこちで、まさに自立への道へ導いてくれるリハビリなのである。だから、要支援になることで、この訪リハを受けられなくなることは、大打撃である。


が、「自立」への一歩をいい加減踏み出さねばいけないのも現実だ。だから、大いに「葛藤」する。
生活で困ることはないかもしれないが、果たして、このままで、公共交通機関にいつかひとりで乗れる日がくるんだろうか…。家族はつきあってなんかくれないし、途方に暮れてしまうなあ・・・。
いよいよ考えなきゃだ・・・あと、半年・・・。。。