あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

自宅の改修

12月、まだ退院の話はでなかったが、近く、退院し、我が家に戻った時に、今のままでは暮らせない、ので、自宅を作業療法士の先生に見てもらい、どんな点に改修が必要かを確認してもらった。
結果、我が家は当たり前にバリアフリーではなく、逆に段差が多い家だったので、まずは、家の到るところの段差をなくし、バリアフリーにすることに。
年末、大晦日に一泊外泊する予定だったので、まずは、それまでに、家の一階の段差をなくす改修工事をしてもらうこと必須だった。
この頃は、年明け、1月の頭に退院できるのでは?と考えていた。
とにかく、外泊、我が家に、数ヶ月ぶりに帰れることに胸が踊った。家族にも、ワンコにも会いたかった。
退院後、いろいろお世話になるケアマネージャーさんも決まった。
病院に会いにきてくれた。
長岡さん。
ゆっくりと話を聞いてくれ、とても感じのいい、話しやすい方だった。
この方に決めた。
外泊までに、自分の装具を作成、購入する予定だった。
私は、杖を使って歩けるようになっていたものの、左足の「装具」は、たぶん「一生」必要で、自分の足に合わせたオーダーで短下肢装具(膝下までのプラスチック装具)を作らなければならなかった。
採寸して、歩き方の癖などを把握して、型をとって~装具ひとつ作るのに、何人ものスタッフが会議をして、装具の型やタイプを決めてくれた。腰がひける歩き方の癖があったり、足首が異様に硬いがために、装具も足首に継ぎ目をつけ、足首の動きが自由になるものを作成することにした。
プラスチックの部分は柄や色を選べるのだが、最初は花柄にした。
どこか、オシャレしたくて。(家族は男だらけということもあり、私の気持ちなんてどうでも良く、花柄は不評だった。)
装具の上にはく靴も購入、左右サイズ違い、装具をつける左足は右よりも1センチ大きく~など、普通の靴はもはや履けなくなってしまった。
歩き易そうな運動靴、装具対応の靴、ワインレッドを選んで、病院の一階の介護用品のショップで注文した。今後、ヒールやパンプス、ブーツなどが普通に履けないと思うと、なんだか無性に悲しかった。ずっと、運動靴・・・がとてもいやだった。
まあ、仕方ない。担当PTによれば、この「外泊」で特に問題がなければ、年明け早々に退院できるかも・・・との話があった。期待。仲良くなった周りの患者さんたちも続々と退院していたので、早く退院したかった。焦ってはいなかったけれど。
この病院は、基本的には半年の入院以上はできないシステム。空き待ちで、入院を待っている人々がたくさんいるらしい。
リハビリ療法士のほかに、担当のドクターもいた。
脳外科の医師。医師も装具の作成に関わり、リハビリの経過をずっと注目。もちろん、退院の最終判断はこの担当脳外科医によるものだった。
入院中、1か月に1度、医師と私、夫、実母の4人で面談をした。そこで、私の麻痺が、思いのほか重度であること、だからこそ、長期の入院、リハビリが必要であることの説明を受ていた。そして、足の回復はめざましいが、手は足よりもずっと時間がかかり、今後も年単位でしか変化はないと話された。仕方ない…その頃はもう、悲しむよりも現実を受け入れ、わりきるしかない・・・と思いも気持ちも変わってきていた。