あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

課題のクリア

リハビリテーション病院では、各自、段階ごとにクリアすべき課題が課せられ、看護師や担当者、病棟のケアワーカーさんらの採点があって、それをクリアしていくことで、生活の状況が変わってくる。いわば「テスト」のようなもの。

例えば土台がものすごくしっかりとした四点杖での歩行が「上手になりました」と認められれば、杖が、三点杖に昇格?できたり、「杖を使っての歩行がしっかりしてきました」と認定されれば、三回の食事で食堂へ移動するのも時間になったら、ひとりで「杖を使って歩いてきましょう」となる。こうなると、リハビリ室へも杖歩行で行くし、ひとりで、または見舞いにきてくれたお客様や家族と杖歩行で1階のカフェに行ってもよろしい。となる。

これは、車椅子の段階でも同じで、車椅子の自走がうまくなったら、車椅子を病棟内自分でこいでよいとなり、1階のカフェに車椅子でいくこともできる。車椅子の最終段階は、食堂へ自走で車椅子で行くーというもの。

 

 

「危険」かどうかは、担当者や、日々、一日中、患者の状態、様子をずっと見てくれている病棟のケアワーカーさんの判断を総合して判断が下される。

まずは、トイレ。下着になってすぐは、ナースコールでケアワーカーさんを呼んでは見守ってもらうが、徐々に作業療法のリハビリの時間で下着の上げ下げ、履いてるズボンの上げ下げの練習をしていくので、徐々に自分でトイレができるようになっていく。私は、最初の頃は、ズボンも下着もいつも左側があげきれず、よく、ケアワーカーさんに「半ケツ」と言われた(笑)。「半ケツ」では合格はできない・・・

 

当座はナースコールをし、自分ですべてやるところをみてもらい、「もう、大丈夫」となったら、ナースコールなしでトイレができるようになる。トイレに行きたくなったら車椅子を自走して、または、杖をついてトイレにいくのである。

この段階では、自分で車椅子への乗り降りもほぼできているので、杖をついてトイレに入り、安全バーを使って便器にすわれるまでにはなっている。

いろいろな段階が設けられ、最終目標は、一番危険とされる「入浴」が自分でできるようになり、もうひとりで大丈夫となったら退院ーが、一つの目安になっている。

11月頃、入院してからおよそ2か月過ぎた頃、長下肢装具から短下肢装具に変わり、杖を使用しながら、ゆっくりと歩けるようになっていた。

ここに至るまでは、本当に必死だった。この病院は、「急性期」(発症間もない期間)の患者が多い・・・

つまり、リハビリを始めるのは早ければ早いほどいい、回復を

見込めるということ。

だからよく言われたのが、「女子医大でもっともっとしっかりリハビリをしてくれてればねえ」だった。発症から1か月以上経ってからこちらにきたので、確かに遅かったのかも。でも、それはもう「後の祭り」だ。言っても仕方ないこと。

いつの間にか装具をちゃちゃっと自分で装着できるようになっていた。

装具の上から靴を履くが、これも練習の成果ありで、割と難なくできるようになっていた。

ただ、杖をついて歩行、病棟内を一人でOKにはかなり時間がかかった。

当然、食堂にいけるようになるまでにも時間がかかり、11月終わり頃にやっと叶えられた記憶がある。

ここまで、入院から約3か月。大体の患者が3か月くらいで退院していく中、私は全てにおいて時間がかかっていた。