あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

リハビリテーション病院での生活

船橋市リハビリテーション病院~とってもキレイな正面玄関を入ると、左手に、オシャレなカフェが。
受付脇の椅子に座っていると、
男性の看護師さんがやって来た。
背の高い若い男性。
優しさ溢れる笑顔で迎えてくれ、車椅子でエレベーターへ。北病棟の3階に向かった。
エレベーターを3階で降りると、エレベーターホールでIDカードの顔写真を撮られた。
数ヵ月間、何も構わなかった我ながらイヤになるほどおブスな顔。仕方ないか。
そのまま、スタッフステーションの近くの病室に入った。
ここは、昼間は私服。
いわゆる、ベッドに寝て過ごす病気ではない人ばかりなので、夜就寝するときのみパジャマに着替えるシステム。
昼間は目一杯、リハビリの時間割りが組まれているので、まあ、眠る暇はほぼない。
なので、昼間はリハビリ用の動きやすい服装。
で、この病院、誰ひとり例外なく、目標は、「自立」なので、「おむつ」も基本なし。
私もいきなりトイレで用を足すよう言われた。もちろん、介助ありで。数ヵ月ぶりの「トイレ」は、思いの外気分が良かった。この時、数か月ぶりに自分の足で立った。
病室のベッドで待っていると、運動機能の回復を訓練するセラピスト、「理学療法士」(通称:PT physical therapist)~私の場合なら、足の訓練をしてくれる先生~が、やって来た。

この3階のPT責任者。
後にものすごく厳しい、でも、確実に結果を出してくれるPTさんだとわかった。
私ももれなく、厳しい指導を受けた。
彼女が、ベッドの足元に座り、私の左足を手にした。
まずは、「感覚」があるかどうかをチェックした。
触られてるのもわかるし、くすぐられてるのもちゃんとわかった。
そう、私の左足は、「感覚」は、元通り残っていた。
次に、左足の指を触り始めた。
すると、忘れもしない瞬間~、左足の指が動いた‼️指に集中、うんと力を入れると動くわけないと考えていた指の数本が動いた❗️
泣けてきた。
近くで見ている実母が、「あらあ、動いてる。
動いてるよ‼️」と涙ぐみながら声にした。夫も同様の反応だった。
信じられなかった。
彼女が、「全く、動かないわけではないんですよ、
これからリハビリ頑張れば、もっと動かせるようになるし、歩けるようになりますよ。
というか、私たちが絶対に歩けるようにしますから」と話した。
私には『魔法の手』だった。

このリハビリの先生たちを信じよう❗️、信じられる❗️と感じ、歩けるように頑張ろう❗️と心に誓った瞬間だった。

この日は、家族と私自身に様々な説明があって、後に、トイレ付きの個室に移った。
この病院の病室は、病院というよりは、ひとつの『部屋』みたいになっていた。
ベッドの脇には、机があり、その脇に、衣類を入れる整理棚がずらり。
冷蔵庫もついている。
このスペースで、自立の練習をしていくのだ。
しばらくは、足元に車椅子を置き、生活。
洗面台では、自分で歯磨きできるような工夫もしてあった。

一応の説明を受けると、私の「担当療法士」がやって来た。
足の訓練をしてくれるPTと、生活全般、例えばトイレの自立とか、入浴の自立、ができるようにする訓練、私の場合は主に左手の機能回復の訓練をしてくれる作業療法士(Occupational Therapist)ーOT二人がやって来た。
まだまだ若い二人。娘のような「先生」だった。

「これから」について説明を受け、『とにかく、焦らず頑張りましょう』と言われ、そのあと部屋で昼食を食べた。