あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

入院、いよいよ手術

2015.7.22  私は50歳。もやもや病のバイパス手術を受けるためにこの日入院した。当初の主治医の話では、約10日程度の入院・・・のはずだった・・・

が、実際には私が自宅に戻ったのは翌2016年の2月初めだった。約半年以上に及ぶ長い入院生活。この手術から私の人生は本当に大きく変わった。

 

 

朝、9時に実母とタクシーで病院へ向かった。入院の手続きを済ませ、脳神経外科の病棟へ。

個室だった。この日は、特になにもなく、明日の手術に向け、ゆっくり休むことだけ。主治医の川島ドクターが挨拶にきた。私の手術をしてくれる他の脳外科医と共に。

4名のドクターが、私担当のチームになった。

夕食を済ませた後、シャワーを浴びにシャワー室に。今後、いつ入れるかわからないし、髪も丁寧にシャンプーした。この日、手術日を迎えるにあたって、一番の問題は結婚指輪だった。手術で、電気メスも使用する予定ということで、はずさなければならなかったのだが、これが、本当にとれない・・・!

結婚以来、ほとんどはずさなかった指輪は結婚当初よりも確実に太くなった指にくいこんでしまうがごとく、石鹸で滑らせても、糸を使用してもとにかくとれず、手術当日、手術台にて、切ることになった。小さなダイヤが入った結婚指輪。お気に入りだったが、結婚20年目にしてその存在をうしなうことになった。

まあ、数年前に、もはや夫は、出張時になくしていたし、仕方ない・・・

 

前の晩はよく眠れた。9時から手術だった。8時頃、夫が、実母が、義姉が病室に来てくれた。手術着に着替え、術後のむくみ対策の超きついハイソックスを履いて看護師の迎えを待った。そんなに緊張するわけでもなく、淡々と時間が来るのを待った。息子たちは普通に学校・・・だったように思う。

「市川さん、そろそろ時間です。行きましょう」と、看護師さんが。点滴の台を押しながら歩いて手術室に向かった。手術室の入り口、自動ドアがサアーっと開いて、入室。ここで、付き添いの家族と離れた。沢山のスタッフが、私の元に来て、「よろしく」と声をかけた。やや緊張。これから始まる大手術。さあ!私の今後の人生が明るくなるためにも絶対的な信頼を寄せるこの先生方に身を任せよう!と祈った瞬間だった。

歩いて手術台に横たわった。