あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

脳梗塞、入院、難病の告知

忘れもしない2015年5月2日。世間はGW真っ只中。

その春、長男が第一志望の大学に無事進学、高校からのお友達や、私の仲良しのママ友たちと、4月1日に、桜咲くキャンパスでの入学式にでかけたばかり。

当時私は、イオンモールの旗艦店であるイオンモール幕張新都心店のオープンから、モール内にあるイオン銀行で、販売促進の仕事を始めて1年半目。

夫の扶養を外れ、パートでありながらも、フルタイムで仕事を続けていた。

チームのリーダーも任されたりして、忙しく大変な日々とは言え、私なりに充実している毎日だった。イオンモールは小売業。GWは、当然かきいれどき。モール内にある銀行も連休とは関係なく、営業。私も家族での予定もないため、当然のように、出勤していた。

 

何も変わらない時間。

モールは、連休中、大混雑。私も何も変わらず仕事。

が、この日は、ふとした瞬間に「違和感」を何度か感じた。

伝票を書く時に押さえる左手。

???力が入らない・・・立っていると、左足にも違和感。ふっとしためまいみたいな感覚。でも、あまり深く考えずに、勤務を終えた。約1時間かけて帰宅。家族の夕飯を作り、洗濯を取り込んでたたんで・・・いつも通りの家事を終えた。そして入浴。

洗髪中に再び???。やっぱり左手に違和感。脱力感。シャワーを浴びる足元にも脱力感。家族にも特に何も言わず、その夜は就寝。

普通に睡眠できた。

翌日、いつも通りに早起きし、自分と、当日テニスの部活へ出かける次男のお弁当を作った。その時に、左手に力が入らず、弁当箱を押さえることができずに、ミートボールを床に落下させてしまった。そして、めまいを感じた私はふらりと床にしゃがみこんでしまった。

休みの早朝で、誰も起きていなかった。

慌ててネットで自分の症状を確認すると、「脳の病気」にぴったりあてはまった。しかも処置が遅れると死に至る危険性もあると書かれていて・・・

怖くなった私は自分で救急車を呼んだ・・・

二階で休む家族に救急車を呼んだ旨を伝えた。当時の私は数年前から「パニック障害」と診断されていて、過呼吸等々で救急搬送されたことも数回あったので、家族も「またかあ」といういたって呑気な反応だった。

ほどなく救急車が到着。私は夫と共に、歩いて救急車に乗り込んだ。

 

近所の脳外科で有名な総合病院に搬送された。

到着と同時にCTを撮った。脳外科の医師から、「脳梗塞」を告げられた。即入院。

夫に仕事を休む連絡を入れてもらい、その日から1週間入院した。

そして、医師の話を夫と聞く私に、「もやもや病」の話が出た。

脳の画像を一緒に見ながら医師からの説明を受けた。驚くほど細い血管。たばこの煙のようにもやもやと映る私の脳の血管。

「他の脳外科医の診断も待ちましょう」と、連休明けの結果報告を待つよう言われた。

「難病指定の病気」

「歌手の徳永英明が確かそうだった・・・」なんて思いながら、まずは脳梗塞を治す治療、常に点滴・・・が始まり、入院生活が始まった。

が、左手、左足の脱力感は、2,3日で解消、割とすぐに症状は治まった。

 

数日後、連休も明けた朝、その時の主治医から「やっぱり、もやもや病です・・・

難病ですし、完治はしません・・・ただ、今後、もやもや病による脳梗塞や、脳出血を起こすリスクを減らすために、太い血管を作るバイパス手術があります・・・」

わけわからなかった・・・

ネットで「モヤモヤ病」を調べた。