あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

料理のサポート

なんだかんだ言われようが、この家族の毎日の食事を準備するのは、結局私だった。でも、現実的には、日々の料理を全て作っていくのは、やはり、とてもとても大変だった。「うーーん」と悩んだ。作れるものは限られてしまうし、同じようなものばかりじゃ、飽きちゃうし・・・と、悩んだ時に、入院中に、作業療法の愛美先生に言われた「頼っていいんです・・・できないときはできないといいましょう。甘えていいんです」という忠告の言葉を思い出した。「そうだ、助けてもらおう」。



家族にそれを求めることはできなかった。疲れを見せていた実母にも多くは頼めなかった。が、母は、時に次男の弁当用に私が決してできない肉巻きや、美味しいおかずを作って持ってきてくれた。ものすごくありがたかった。「いろいろ作れるようにするには何が必要?」と考えたときに、「食材を、料理しやすいように下準備、切ってもらおう」という考えがわいた。そう、週2回きてくれるヘルパーさんに頼めないか・・・とひらめいた。1週間の献立をおおよそ決めてその下準備として食材を必要に応じて切っておいてもらえば、料理しやすくなる!
週の頭、月曜に一人が来てくれるので、野菜や、肉類を切っといてもらい、冷凍しておけば、今よりぐんと料理の幅が広がるかも!
すぐに、ケアマネさんに相談した。


結果、退院してから約1年経た時から、今の形(月曜に来てくれるヘルパーさんに食材の下準備をお願いし、肉類等々は、冷凍する)でヘルパーさんにお願いするようになった。日曜にまとめて食材を1週間分購入するので、これらを、カットしてもらうようになった。
パタンは決まっているが、大体、きゅうり(3本を輪切りと千切りに)、にんじん(2本分を千切り)、キャベツ(適量を千切り)、鶏モモ肉(余分な脂肪部分をとってもらい、6~8等分に)豚バラ肉(約100グラムずつに小分けしてジップロックに、豚ロースも同様、大根(千切り)葉も細かく刻んでもらう、玉ねぎ(薄切り)時にはピーマン(細切り)等々。1週間のメニューによって、変わった。  
が、毎週、今現在もお願いしている内容。

次男のお弁当をつくっているときは、弁当用に、ロースハムにスライスチーズを巻いてもらうこともやっていただいていた。普通の卵焼きはなんとか焼いていたが、中に、チーズや海苔を巻く場合は、作っていただき冷蔵庫に入れて、翌朝弁当箱に詰めていた。



これで、私の毎日の食事の準備は劇的に変わった。


なんとか、病気以前とほぼ同じ献立ができるようにはなった。
相変わらず、ハンバーグや、ロールキャベツ、肉巻き、ホイル焼き(アルミが片手で上手く負けない)などはできなかった。
これらは、特にハンバーグは息子たちが定期的に食べたくなるようなので、もう割り切って、冷凍食品をそのまま購入、温めて、その上に目玉焼きを作って乗せ、食卓にだすようにした。家族からの文句はもちろんなかった。
最初の頃の問題は、かかりすぎな時間。
てきぱきとは到底できなかったので、何も用事のない午前中に、ゆっくりと作っていた。
だから、正直、夕方食べるときは若干、味も落ちていた。
早めに食事を作ると、問題はサランラップだった。
左手が使えないから普通に巻いて切れない。
これには、しばらくの間、試行錯誤。ヘルパーさんらに相談したり、入院中に作業療法士の先生に聞いたことを思い出した。
ラップを普通に引っ張り出して、お皿にかぶせ巻いたら、左側をはさみで切る。
このやり方しかラップを自分でかける方法はない・・・
少しラップに無駄が出るが、これは致し方ない。今現在もこの方法で問題なくラップを巻いている。


こんな方法でしばらくは、ゆっくりと料理を作っていた。
なんとかできるようになっていった。
次男が高校生の間は、お弁当も作っていた。
大体同じようなおかずになってしまい、さぞ、毎日、飽きたことだろうと今は思う。
弁当は、病気前は、早起きして、朝、作っていたが、
この時は、てきぱきとできなく、間に合わないと大変(次男は、テニスの朝練に出ていたので、朝が早かった)だったので、前日におかずを作成、アルミカップにのせたおかずをお皿にのせ、ラップをかけ、冷蔵庫で保存、朝は炊き立てのご飯をつめ、おかずはこれら、冷蔵庫から取り出しておかず入れにつめこむだけ、の状態にしておいた。確かに一晩冷蔵庫で冷やされたおかずは美味しくないかもとは思ったが、当時の私にはその方法でしか、お弁当作りはできなかった。
このお弁当作りを約2年間、高校卒業まで、また、大学入試の当日も作った。
文句こそ言われなかったが、よく、あまり、おいしくはない弁当を持って行ってくれたなあと、今では次男に感謝、もっと美味しくできたのに・・と、申し訳なく思っている。
最初はできなかった「卵焼き」も月日を重ねるうちに自分で焼けるようになった。形は決してよくなかったが。なんでも「慣れ」だ・・。
できない、できない・・・と思わずに、やってみると意外にやできたりする・・・何回も繰り返すと自然にできるようになる。料理以外でもこれは通ずるものがあった。
6時少しに朝練に出かける次男のために、約2年間毎朝6時前に起きてお弁当作りは続けた。
半年にも及ぶ入院中、お弁当作りを次男本人にさせてしまったこと、どんな状態でも、私は、「母親」であること、を忘れてはいけないと思って・・・・・


弁当以外でも、ほんの小さな日常のことが、最初はできなかったが、月日と共にできるようになていった。これも全て「慣れ」である。
例えば、ワンコのおしっこをしたシートの取り換え、うんちの始末・・・。
膝が曲がらない私にとっては、シートをかがんでとることが、非常に困難だった。が、これも回数を重ねるとなんとかできるように・・・
また、「雨戸」の開け閉め。
重い雨戸を床の高さまで手を下ろしてひきあげること、窓の上部から、床の高さまで力を入れてひきさげることはあまりに大変だった。
でも、今は当たり前に難なくやっている。
つまり、全て、数年間での「繰り返し」と、「慣れ」。
片麻痺でも、「やってやれないことはない」のである。
だから、できない、できない・・と思うこと、言うのはやめることにした。思っちゃだめだと自分に言い聞かせながら生活するようになった。
パソコンだって、こうして、片手で大量に打ち込んでいるのだから。