あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

それでも料理

いろんなことを言われても、私には「料理」くらいしかできることがなかった。以前のように美味しく見栄え良く作ってやろう!と、気持ちを奮い立たせた。文句言わせないように、と半ば「意地」になっていた。
が、現実はそううまくいくわけもなく、片手での料理に当初は苦戦した。
フライパンを振れない、だから、少なくともチャーハンとか、簡単なものができない。食材を形作るものは無理、例えば、ハンバーグとか、ロールキャベツ、肉巻きなど、以前は夕飯の定番だったおかず、息子たちが好きでいてくれたメニューが作れない・・・。できるもの、作れるものは、必然的に限られてくる。仕方ない、できるものをより美味しく作ろう!と考えを変えた。また、ハンバーグなどは、すでに形成されて売っているものを使って作ろう、と思うようにした。ソースを私の味で美味しくと思うようにした。

料理に関しては、「後片付け」も課題。病気以前使用していたビルトインの食洗器が、長期入院中、使用しなかったがために壊れてしまい、食洗器が使えなくなってしまった。
入院中、「作業療法」の時間に「食器の洗い方」を訓練する時間があったが、食洗器が使えると思っていた私は、
「うち、食洗器なので、やらなくても大丈夫です」なんて言ってしまっていた。
左手が使えないので、お皿を持てない、シンクの底に置いて洗うしかなかった。完璧にきれいにならなくても、良しとしようと思うしかなかった。
なので、いまだに4人揃った食後の洗いものは本当にきつい。お皿の枚数が多いし、それを置く水切りも高い位置で、非常に不便だから。
食洗器では、ぴかぴかになったグラス類も、ピカピカになんて洗えなかった。


退院してきてから、半年後くらい、次男は高校2年。基本、毎日お弁当持参の学校だったので、弁当作りもすることにした。
早朝から、本人に、弁当箱に詰めさせるなんてあまりにもかわいそう、私が帰ってきたんだから、解放してあげないと・・・と思った。
が、これは、正直、かなり、難しい作業だった。
まず、作ったおかずを弁当箱にきちんと詰めることがなかなかできない。アルミのカップに詰めることがまず難しい。

おかずは、できるものはつくったが、あとは冷凍食品を駆使した。今の冷食は美味しくてありがたい。
お弁当の定番「卵焼き」