あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

2018年12月法事  まさかの掘りごたつ

12月初めに、夫の親戚の法事があり、出席した。お寺、お墓は、東京の高輪。四十九日の法要だったので、「納骨」があった。この「広岳院」という由緒あるお寺が、「お経」、「お説法」を聞く場所が二階にあり、スロープも手すりもなく、階段を上がるのに本当に一苦労だった。段数にすると、ほんの6、7段なのだが、とにkさく勾配が急で、しかも一段が高い。手すりもないので、右側に夫に立ってもらい、腕をつかんで上るしかなかった。
が、段の高さが想像よりあり、麻痺足の左足が上がらない・・・、右手で掴む夫のYシャツも心もとなく、結局、お尻を持ち上げてもらう形で、右手を上から釣り上げてもらった。
一大事だった。降りるときは右側の壁をなんとかつたいながら、これもやっとの思いで階段を下った。「迷惑かけてしまったあ」という思いで本当にせつなくなった。

しかし、この日は、これ以上に、厄介なことがこの後あった。納骨が終わり、「銀座」へ移動。遅めの昼食&早めの夕食を兼ねた食事の場。店は夫が仕事でよく使うらしい店で、和食の店だった。予約の際に、「テーブル席」と伝えてあったが、何かの手違いか、なんと「堀りごたつ席」が準備されていた。
畳から立ち上がるのも一苦労なのに、足を下ろして座る「堀りごたつ」とは!聞いた瞬間、憂鬱な気分になった。が、私一人のわがままをきいてもらうはずもなく、仕方なくドシっ!と夫に支えられて座らせてもらった。

この時も隣に前出の義妹が座ってくれ、いろいろと助けてくれた。本当にたすかる。お料理は、最後に「カニ」の炊き込みご飯をその場で炊き上げるようになっていて、炊きあがったご飯をほぐして、よそってくれた。
美味しく食事も終わり、問題は「立ち上がり」だった。
が、この時、初めて知ったのである。その日、出席していた夫の従妹が、なんと、「作業療法士」だったのである。「医療系」の仕事に就いていることはしっていたが、まさかOTさんとは・・・!
彼女が「言う通りに動いてくれれば大丈夫。ちゃんと立てますから」と言われ、ほっとした。そう、「療法士」さんたちの言葉は、障害者にとっては、「安心」「信頼」「絶対」なのである。
言われるとおりにまず右足を出し、畳の上に置いた。麻痺足の左足を夫にしたから出してもらい、右手でどっしりとおいてあるつい立てをしっかりとつかみ、右手、右足に力を集中させ、よいしょと立ち上がった。

言われる通りに身体を動かしたら、本当に「難なく」立ち上がれた。一安心。彼女には感謝してもしきれなかった。


6時過ぎに銀座を出た。長男の運転で無事帰宅。「納骨」の際、15分程立ちっぱなしだったので、右足がかなり痛かった(右足に結局、全体重が乗っているような状態だから)。

夫の親族には、この日の作業療法士はじめ、息子たちの従弟にあたる19の甥が、「理学療法士」を目指し勉強している子もいる。
なにかと心強いなと感じながら、ゆっくりと入浴した。

「心強い」と感じる一方で、「私が出かけると、本当に多くの人に迷惑をかけ、気遣いさせてしまうなあ」と、改めて思った。
外へ外へ・・・といくら私が思っても、そこで誰かに迷惑をかけたり、誰かの「気遣い」がないと動けないのであれば、それは、「自立」ではないんでは・・・と今は思うのである。
いっぱいの「感謝」の気持ちと同時に、やっぱり、一日でも早く人に迷惑をかけずに出かけられる自分になりたい・・・!と切に思った。

ただ、この日、例の銀座のお店には、当たり前に「手すりつき」のトイレはなかった。なんとか用は足せたが、世の中、現実はこうなのである。だからこそ、トイレくらいは、ごく普通のトイレでも難なく用を足せるようにしておかねば、と改めて実感した。

ただ、「やってやれないことはない」のも事実。「トイレ」にしても、「掘りごたつ」にしても結局、「なんとかなった」。人の手を借りたにしても、「なんとかなった」事実は、忘れてはいけないのである。
「障害」に甘えず、「ちょっと踏み出せばなんでもできる」と考えるようにしたいなと思った。