あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

1年ぶりのMRI検査

6月6日、現在、2か月ごとに薬をもらいに脳外科に通っているが、その診察に出かけた。近所の東船橋病院。
担当医は、気に入っていた野村先生が、都内の逓信病院に移り、おやめになったので、4月から千葉大の脳外科医・奥山先生に。まだまだ若い医師。
で、この日は、1年ぶりにMRI検査。その画像をもとに診察。この奥山医師とは、細かいお話を初めてした。

「もやもや病」は、進行性の難病。毎年、MRIを撮るときはやはり結果が心配、病状が進んでいたらどうしよう・・・と毎回思う・・・。
初めての検査はあの「カンカン」という独特の音が嫌だったが、今では、もはや慣れてしまい、あっという間に検査も終了。私の手術した右脳は、順調に血液が流れ、バイパス手術でつないだ血管は太く、脈々と血流を確保していた。病気が見つかってからそのまま放置したままの「左脳」は、特に変化なし。相変わらずのたばこの煙のようなもやもやとした血管もそのまま・・・特に現在のところ、脳梗塞も、もちろん出血箇所もなかった。ほっとひと安心。バイパス手術後の脳出血の跡は画像にくっきりと残っていて、見るたびにせつなく、悲しくなる。これさえなければ・・・・と今でも思ってしまう・・・。
今は問題なく、大丈夫。だが・・・いつ、また脳梗塞が起こってもおかしくないのが私の左脳。
女子医大の執刀医は、術後1年経過した検診で、「早く左脳もやりましょう」と言っていた。医師的に見れば、「いつ脳梗塞脳出血を起こしてもおかしくない脳」なのだから、危険を回避するには、同じくバイパス手術をして梗塞、出血のリスクを減らすのが当たり前の提案なのである。でも・・・、また、術後に出血や不意の梗塞がおきたら・・・私は今使えている右手、右足の動きさえも奪われてしまうのである・・・なんて、私の不安とか現実に起こりうる後遺症のことなんて一言も言わない。前の担当医の野村医師は、「必要ない」と言った。
今度の先生は・・・?


私本人は手術は二度と嫌」である・・・。片麻痺ならまだなんとか受け入れることは可能でも、今度もし同じことがおきたら・・・全身麻痺でなんて生きていけない・・・本気でそう思うのである。
だから、リスクがある以上、もう二度とバイパス手術なんてうけたくない。脳梗塞や出血が起きたら、今度はそのまま死んだ方がましだとさえ思っている。本当だ。私の気持ちなんて誰にもわかりっこない。


現実は、今後、左脳の細い細い血管が詰まって脳梗塞を起こす可能性は、他のひとよりも何倍も高く、脳出血の可能性だって高くあるのは変わりない。
実際に、現在は左脳に梗塞の影はなくとも、いつどうなってもおかしくないのが現実。
今後、右手のしびれや、頭痛、右半身の違和感を感じたら、それが「治療=バイパス手術」を現実的に考えなくてはならないサインだと、今の担当医は私に言った。担当医は、「手術をするかしないかは本当に難しい選択」としか言わなかった。

そう、だから、「爆弾を抱えたままの左脳を爆発させない生活」をしていくしかないのである。それは、「当たり前の健康的な生活」・・・「水分補給をしっかりと」「高血圧対策」「肥満を解消」「食事に注意」「適度な運動」・・・。現在の私が真剣に積極的に取り組まねばならないのは変わらず「肥満の解消」である・・・。
まあ、血管を詰まらせないように、特にこれからの季節は「水分補給」がまずは一番大事・・・。血液がドロドロになったら、本当に「アウト」だ。



常に手術や、左脳のことを考えてなんかいないが、この定期的なMRI検査を受けるごとにいつも思いだし、考えさせられる、私が一生頭に入れておかざるを得ない「現実」。

死ぬまで、私は、「もやもや病」。治らないからこそ気を付けて生きていくしかない。きっと、人より寿命は短いんだろう・・・。
でも、いま、こうして片麻痺だけで生きている現実に感謝し、残りの私の「生」をしっかり全うしようと思うのである・・・。
左脳を爆発させぬよう、「自己管理」していくのが私の「仕事」。
もうこれ以上、周りのひとたちに迷惑をかけませんように・・・。普通に寿命を生き抜いていきたい。死ぬ間際に「なんだ、もやもや病でも、ここまで生きれたじゃん」と思えるように・・・。