あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

パン作り、その後

リハビリもヘルパーさんの訪問も何もない水曜日、この日を「パンを作る日」にしている。
最近は、パンだけでなく、冷凍パイシートを使い、アップルパイやクロワッサンにもトライ、美味しく楽しくたのしんでいる。

f:id:akoichikawamama0714:20191128100238j:plain
初めて作ったアップルパイ。中のりんごの甘さ、これは太るわけだあ。成功♥
f:id:akoichikawamama0714:20191128100311j:plain
ミニチョコクロワッサン。ものすごく美味しい。右手で上手に巻けました。「やればできる!」


パンやパイ等々を作り始めて「目から鱗」。「こんなにもたくさんのお砂糖やらバターを使わないと甘くならないんだあ」と知った。「ダイエットの敵」であること間違いなし!!

家での2度の転倒   怖くなってしまった外歩き

10月末から11月半ばの今日に至るまでの間に、私は、2回も家の中で転倒してしまった。1回目は、何気なく夕飯の後に物を取ろうとしたときに・・・。後ろにバタッと倒れ、尻もちをついてしまった。幸い、日曜日で、夫が近くにいてくれたので、両脇を支えて立ち上がらせてもらった。運よく、頭も打たず、大丈夫だった。2回目は訪問リハビリの時間。以前載せた室内用の段差の練習用ピンクの台で段差の練習中、曲がらない左足が台に引っかかってしまい、そのまま後ろに転倒。理学療法士の先生が咄嗟に立ち上がらせてくれたが、2回とも、自分の後方に倒れてしまい、異様に動くことが怖くなってしまった。それから・・・、転倒したのは、家の中だったのに、靴を履いて、杖を持って、外に出るのがとにかく怖い。
左足が棒のようになって、思うように動かない。通所で通う東船橋病院のリハビリの時間にリハビリ室を最初の10分間、ひたすら歩く訓練があるのだが、歩き慣れて、それまでは普通に歩行していたのに、平らな室内なのに、左足がふと止まってしまって足が動かなくなる。「歩けない!」という心理が頭を支配してしまって、足が思うように動かない。怖くなって、リハビリ室のセラピストの方々に声をかけ、側について一緒に歩いてもらった。専門のPTさんが側にいると思うと、妙に安心して足が少し動いてくれる。以前載せた玄関前のスロープも、スムーズにあるけなくなってしまった。すべてが怖い・・・。

私は、意外にやメンタルが弱いようで、何かあると、すぐに頭のなかで、その出来事が反芻され、身体がうごかなくなってしまうのである。「異常事態」。せっかく、外歩きもスムーズにできるようになったり、ポストの郵便もスムーズに取りに行けていたのに、何もかもがゼロになってしまった。
「とにかく、元に焦らず、戻しましょう」と、訪問リハの担当PTさんに言われ、しばらくはひとりでの外歩き禁止、家にほど近い近辺のみをゆっくり歩くことの繰り返しを続けていくことになった。
が、リハビリの時間、PTさんについてもらい、肩を押さえてもらい(転倒しないように)、「いち、に、いち、に」とリズムを口に出してもらうと怖いながらもゆっくりきちんと歩けるのである。だから、精神的なものがやはり大きいのである。
なので、自分で歩く時も、自ら、「いち、に、いち、に」と、口ずさむようにした。家の中で転倒したので、家の中もなんとなくこわくなり、常に、「いち、に、いち、に」と、歩き始めのように口ずさむことにした。


11月末、家から徒歩5,6分の美容院にカットに出かけた。「死ぬほどの怖さ」を感じながら、「いち、に、いち、に」を繰り返し、何とか往復できた。
成功体験はものすごく大きかった。「美容院に行けたじゃん!」という体験が自ら背中を押した。
公共交通機関の練習も見送り、今現在は、訪問リハビリの時間に近場を数分歩くことで回復を目指している。
お正月、出掛けることも多いから、その時までには、なんとか少しでも回復しておきたいと思っている。

台風15号千葉に上陸、体験したことのない怖さ

9月に入り、第1週目の土日。日本近海に台風がやってきていた。15号。9月に入っても、猛暑は続いていた。熱帯夜、うだるような暑さ、9月に入っても一向に涼しくなる気配はなかった。そんななか、日曜日、9月8日の夜、風も強くなり、雨も降りだした。小田原、伊豆方面はものすごい強風と雨に見舞われていた。23時過ぎのニュースでは既に「明日の東海道新幹線は、始発から運転とりやめ」と計画運転を告げていた。
勢力は割と小さいものの、コンパクトなので、上陸した際には猛烈な暴風雨に見舞われる模様と予想していた。
いつも通り、24時を過ぎたころ、就寝。外は強風と雨で荒れていた。土砂降りの雨が、私が眠る部屋の外の雨どいを激しく流れ落ちる音で、眠りにつくのにいささか時間が必要だった。それくらいひどい豪雨だった。なんとか眠りにつき、夜中3時ころ、外の異様な風の音と、物が周辺に飛んでいく音で目が覚めた。今までに体験したことのない激しい風の吹き方、雨の降り方に真っ暗な中、恐怖すら感じた。
朝6時過ぎ、夫が起床、テレビのニュースが、公共交通機関のストップを報じていた。夫が利用する東京メトロも軒並み停まっていた。運行開始のめどはたっていなかった。何があっても止まらない我が家の沿線、最強の新京成線もストップ、びっくりした。夫は会社には行けず、その日からテニス合宿を予定していた次男も夏休み最後の合宿を中止にした。航空機も軒並みストップ、その頃、夜中の3時すぎに「千葉市に上陸」したとニュースが流れた。
雨の降る中、閉まっていた雨戸を開けると、わが家の車庫には、異様な光景が。車庫の蛇腹は大きく開閉、車庫に置いてある自転車は当然転倒、車庫の中には見たことのない、どこからともなく飛んできたと思われる板の数々が散らばっていた。
朝、7時を過ぎても風雨はおさまることなく、上陸した千葉市の映像を見てそのひどさに驚いた。
その日の午後、週2回来てくれるヘルパーさんがやってきた。聞くと、彼女の住まいはわが家から少し離れた場所だが、朝から「停電」と「断水」が続いたままだという。
わが家には特に被害らしきことはなにもなかったので、ほっとした。が、近所の地元では有名な桜の名所になっている公園では、桜の木が数本倒れ、近所の桜並木も、倒木が何本かあり、歩道をふさいでいることを聞かされた。
歩いて20分ほどの私の実母が一人で暮らす実家は、家屋が古いためか、屋根が一部飛んだと連絡があった。実母には何もなかったが、80を過ぎた高齢の母が屋根がなくなった2階の部屋で、雨漏りの処理を夜中にしたことを思うと、胸が痛んだ。
今回、50年少し生きてきた中で「経験したことのない」台風を経験。しかも、台風から10日以上過ぎた現在でも千葉の南部はいまだ停電や断水に見舞われている。
東電ばかりが責められるが、なにより、千葉県知事は何をしていたんだろうとわたしは思う。風水害は予想のつくもの。天災、自然災害といっても、台風の進路や風雨の予想は、今の気象庁の情報力ではある程度予想できたはず。なのに・・・。
そして、こんなとき、この頃私がとにかく不安に感じるのは、「災害、例えばこの先、大地震とか、が起きた時、足の不自由な私はどう逃げればいいんだろう?」・・・と真剣に思う。身体は思うように動かないし、歩くのだって限界がある。避難するのも一苦労だ。それを考えると、本当に怖くなる。家族だって、それぞれ「自分の命」がある。
また、身をもってこれからの自分を案じてしまった台風だった。

新しい「趣味」「パン作り」

病気以降、それまでしていた「仕事」はできなくなった。英会話講師や、イオンモールでのカード営業等々、私なりに働いてきたが、今は、いわゆる専業主婦。何度か仕事、在宅でできる仕事などを探したが、「片手では効率が悪い」や、現実的に通勤できないハンディは、どんな仕事もできない現状をうんでいた。専業主婦といっても、できることに、限界もあるので、「何もしない空き時間」が膨大にある毎日。結果、「テレビばっかり観てしまう」日々を過ごしてしまう。
ずっと、リビングのソファに座って、一日テレビを観ている私の姿は、俯瞰で見ると、自分でも嫌になってしまうし、家族にも「なあんもしないお母さん」と映ってしまう。正直、情けなかったし、この現状を「なんとかせねば」といつも思っていた。
でも、現実的に、仕事はできないままだし、「はて、どうしよう?」と考えた時に、「そうだ、別に仕事するばっかがいいわけじゃない」と気が付いた。「テレビばっかり観てなにもしない生活から脱却すればいいだけ、今のじぶんにできることをさ探せばいい」と考え方、味方を変えた。朝、わりと遅く家を出る長男に、「おかあさんもなんかしなよ」と毎日いわれることがとてつもなく苦しくせつなかった。事実なんだけど・・・。もともと「料理」は大好きだし、キッチンに立つことは全く「苦」ではない。だからこそ、半身麻痺で帰宅してからも必死に料理ができるように私なりに頑張ってきた。それが、今や、毎日家族の食事を全て作れることにつながっていた。そうだ、「料理」だ!と思った。日々の普通の料理は毎日作るのだから、今までやったことのない、料理関係、「パン」を作ってみよう!と思い立った。

f:id:akoichikawamama0714:20190905100017j:plain
人生初の「わたしが作った、焼いたパン」♥  美味しかった♥
でも、片手は使えないし、パンといえば、「こねる」作業があるし、「できる?」と単純に思ったが、「この4年間、なんでも、なんとか工夫して、料理やってきたじゃん!!できないわけない!」と、根拠のない自信を持って、始めてみようと思った。幸い、長男の中高を通じてのママ友が、「パン教室」の先生をしていたり、「パン作り」の経験者が数人いたので、アドバイスをもらい、道具、本、等々をそろえ始めた。友人によれば、「手でこねないレシピもあるよ」ということだったので、you tubeでそれを探しあて、早速やってみた。「ベッカ晶子さん」が主宰する「日本一適当なパン教室」(そもそもこの名前が気に入った)、のれしぴが載る「日本一簡単なパン作り」という本を購入し、「てこねせず、しゃもじでこねる」やりかたを見ながら作った。しゃもじのあと、一次発酵させたあとは、手でこね、成型するのだが、なんとかなった。そう、なんでも、なんとかなるんだ。で、出来たのが写真の「ちぎりぱん」。焼きたてを次男と試食、「超美味しかった」。次男も「うまい!」だった。人生初の「パン」焼き、我ながら大成功。うれしかったし、楽しかった。これからも、チーズ入りとか、大納言入りとかいろいろ作ってみたい。まだまだ、焼くぞ!大好きな料理の一つとしてやっと見つけた「パン作り」。唯一の趣味として、どんどん美味しい!といわれるパンを焼いていきたい。「テレビばっかり観てる生活」から、抜け出そう。

24時間テレビに思う「障害者」との向き合い方

」毎年、夏野終わりに放送される日テレも「24時間テレビ」。今年も放送された。チャリティマラソンは4人で繋ぐ初の「駅伝」形式で、最後のランナーいとうあさこには、毎年ながら、もらい泣き、4人の「絆」に不覚にも感動したりした。
が、毎年、この番組では、日本中の「障害者」「難病患者」を取り上げ、その人が「努力に努力を重ねてやり遂げたこと」、「夢を叶えた」内容を密着して放送。大変な状況であっても、「願いはかなう」「やればできる」ことを伝えている。
確かに、「努力、自分の身の上をあきらめずに前向きに努力」していくことは、健常者でも難しいし、成し遂げることは本当に大変で、ある意味、「えらい」とも思う。「見習わないと」という気持ちにもなる。
でも、「障害者」ばかりを全面に出して、番組で扱うことは、逆に「差別」のような気がしてならない。
現実的な生活で困っていること、生活していくうえで助けてほしいことなどをもっと、あからさまに話して、・・・だから、「バリアフリーが必要だ」とか、「ヘルプマークの意味を知って欲しい」と公共の電波で訴えたほうが巷に溢れる一般の「障害者」にとっては、実にありがたい。「障害」を持つと、健常な時には全く考えられなかった「不便さ」や、「生きづらさ」を体感する。きれいごとや言葉だけでは言い表せない様々な不自由さに溢れる社会を体感する。でも、番組では、そんなことよりも、主人公の「苦しいけど必死に頑張りました」「夢、希望が叶って本当に嬉しい」の部分しか扱わない。確かに、人一倍の努力や懸命なリハビリや練習をこなしてできたことなんだろうが、それは、普通に生きている「障害者」だって同じだ。ただ、テレビで扱われる機会をもてたかどうかの違いである。
大きく、大げさに扱かうから、心無い健常者が「ほら、こんなに、頑張ってるじゃん、あなただってもっとがんばれるんじゃない?」「あなたよりずっとえらい、すごいよ」と圧をかけてくる。なんにもわからないくせに・・・。
そんなに、「障害者」を取り上げたいんだったら、来年の五輪に向けて本当の意味での「バリアフリー」や、まだまだ認知度の低い「ヘルプマーク」について周知を徹底するできるような取り上げ方をしたほうがましだ。
「障害者」とわかって、上から下までじろじろ見る目があったり、困ていることを正面から「聞いてあげよう」という意識がまだまだ世間にはない。トイレやスロープが整備されていても、人々の気持ちが、「障害者」を見る目がまだまだ、「バリアフリー」には程遠い。だからこそ、番組で、そういう部分をもっと徹底して扱ってほしい。
裏番組で、フジテレビの「ザ・ドキュメンタリー」を放映。仮面女子というアイドルグループのメンバーが1年前に災害?で、事故に遭い、脊髄損傷、下半身全麻痺になった。彼女の復帰までの家族との苦悩、現在のりはびりの模様・・・等々を密着、放送。一見、24時間テレビと同じだが、こちらは、彼女の日常の不自由さを、きちんと描いている。電車に乗るときの車椅子が通らない自動改札の狭さ、脊髄損傷で、尿意を感じられないため、数時間に一度必ずトイレに行くようにしている・・・とか、いつもいつも「笑顔」でいることの苦しさも赤裸々に告白。テレビで紹介される華やかな部分だけでなく、彼女の「急に障害者になった不便さ」をきちんと描き、障害の重さをちゃんと伝えている。なんか違う・・・。「障害者」を見世物にしていると感じてしまう24時間テレビ。いろいろな考え方があるんだろうけど、24時間テレビも過渡期、少し、内容の見直しをはかったほうがいいじ時期にあるのかもしれない。
「障害者」を「かわいそうな人たち」ととらえる時代は終わった。日本中が、「心のバリアフリー」について考える時間になって欲しいと切に願う。

参議院選挙   「れいわ新鮮組」当選者  重度障害者お二人に思う

7月21日、参議院選挙。新しい「れいわ新鮮組」という山本太郎氏率いる政党が、「特定枠」で、「重度身体障害者」の二人を擁立、当選した。山本氏は、「障害者に寄り添う社会」、「国会をバリアフリーに」と訴え、自らも100万票も獲得したにも関わらず、特定枠の2人に当選を譲る形になった。
お二人は、大きな車椅子に乗り、介護者を必要とし、障害者の「雇用」等々を変えていきたいと話している。

本当に大丈夫なんだろうか?

この話を聞いた時、正直、まっさきに感じたこと。
山本氏は、「障害者に寄り添う」立場を訴えていますが、わたしにはよく理解できません。
「健常者」と同じ土俵に上がることが、本当に、障害者の希望、必要なことなのでしょうか?このお二人が議員としてきちんと仕事ができなかった時、世論はなんというのでしょうか。「やぱり、だめだ、障害者は。」、「結局、何もできないじゃないか」と、批判するのではないでしょうか。
同じ「障害者」として思いますが、「できないことはできない」のが現実なのです。それをもわかってくれて、温かくサポートしてくれるのが、「障害者に寄り添う」ことなのです。無理に、健常者と同じことをしたいとか、できる、なんて考えてはいないものです。
自らは当選できるほどの票を集めたにも関わらず、このお二人に「当選」を譲り、国会のバリアフリー等々を実現させ、一見、ものすごく「世の中、政治の世界を変える良きひと」に見えるけれど私には「無理やり障害者を引っ張り出した偽善者」にしか見えない。


なにはともあれ、当選し、議員になったからには、「障害者だから」の言い訳は全く通用しない・・・。国のために、国民のために、真剣に頑張っていただきたい。ご本人たちも百も承知の上で立候補されたんでしょうから。

「障害者、障害者・・・」というふうに言う人こそ、「障害者差別」しているように思う。

軽井沢日帰りトリップ

27日、台風が接近!という中、夫と二人で「軽井沢」へ。日帰りなので、ましてや、夏休みにも突入していたので、早朝5時半前に自宅を出発。花輪インター、船橋ジャンクションあたりでは、結構な雨降り。あーあ・・・という雰囲気だったけど、市川から、関越大泉インターに直結の外環道直通道路が昨年?完成し、「とにかく早い!!」。以前は都内を首都高で抜けてから関越に入ったが都内首都高を抜けることなく行けるので、ものすごく大幅に時間カット、しかも渋滞がないので、あっという間に大泉、関越へ。
関越に乗ったころには都内は雨もやんでいて、ほっ。
いくつかのパーキングエリアに停まり、トイレを済ませ、ガンガン飛ばして8時半前には碓井軽井沢。この時点で、小雨。しかたないか・・・。渋滞もなさそうなので、予定通り、まずは、「白糸の滝」へ。「上」の方は天気が違うかも・・・と祈りつつ・・・。有料道路の白糸ハイランドウエイは、くねくね山道。雨降りの後、道路は水たまりだらけ。が、雨は降っていなかったので、滝の下に車を停めて、「車椅子」へ。滝へは健常者の足で、小川のせせらぎを左にみながら徒歩5,6分。砂利道。
マイナスイオンに癒されるつもりで、砂利道を押してもらったが、「動かない」・・・。タイヤに砂利がどんどん入って、坂道がきつ過ぎてのぼれない。しかも、私の「重すぎる体重」が、余計に車椅子の行く手を阻み(笑)、ここは、諦めた。押してくれる夫に申し訳ない。
まあ、以前にも来たことはあったから、今回はスルーで。ほら、ほら情けない・・・。重量オーバー・・・(笑)。

で、午前中は「北軽井沢」の予定だったので、そのまま、さらに北。「鬼押し出し園」へ。「鬼押しハイウェー」を通って浅間山麓へ。有料道路も、ETCも使えず、スマホ決済もできず。料金所のおじさんは、「まだまだ旧式で・・・」と申し訳なさそうに言った。仕方ない・・・「観光地」「地方」なんだから・・・。「現金めんどくさい主義」の夫は、多少いらついた様子だったが・・・。
と、浅間山麓、まさかの「快晴」。台風はいずこへ・・・。パーキングに駐車、暑すぎる鬼押し出し園へ。「障害者手帳」で、入園料、夫とふたり半額で。
10数年ぶりの鬼押し出しは、相変わらず、リアルな溶岩がゴロゴロ。暑い中、車椅子をゆっくり押してもらって「裏参道」から上った。上に神社があり、お参りする人も・・・。
「表参道」から下り、夫はフーフー。
こんな山の上でも「多目的トイレ」もちゃんとあって、用を足して「中軽井沢」へ。この時点で、10時半くらい。早く来てよかった・・・。
10数年、軽井沢に来なかった間に、いろんな新しいスポットができた。
「中軽井沢」に「ハルニレテラス」。いわゆるショッピングモール。
あの「星野リゾート」が開発した「星野エリア」。
混雑の駐車場になんとか駐車し、いざ中へ。ウッドデッキが並んだようなテラス、側に小川が流れていて、川の音が癒される。
入り口の有名店、「沢村ベーカリーショップ」は、大混雑。
また、信州ということもあり、「川上庵」=そば店も大行列。
おそばを食べたかったけれどあまりの行列に諦め、夫の好きな「担々麵」が美味しいと紹介されてた「希須林」=中華料理店へ。11時に一番で呼ばれ、カウンターのみのシンプルな店内へ。
評判の「担々麵」をいただいてまあまあ満足(夫は納得できず・・・)。店内からは眼下に流れる川が見えて、自然を感じられて穏やかな気分になった。

早めのランチを済ませて「旧軽井沢」へ。軽井沢観光のメイン。町営のパーキングに駐車して、いざメインストリートへ。
上皇さま、上皇后さまが出会われた例のテニスコートを横に見ながら車椅子で。
人気の「中山のジャム」は大混雑。もうジャムにも飽きたので、いつも買えずにいた「ブランジェ浅野屋」=パン屋さんを見るとこちらは、お店の外まで人人・・・。向かいにある、「フランスベーカリー」でパンを大量購入。
ここは、ジョンレノンがお気に入りだったらしい。



最後は軽井沢銀座入り口にある「腸詰屋」へ。ホットドッグを食べたかったけど、こちらも長蛇の列だったので、「バックシンケン」というボンレスハムと「ガーリックソーセージ」をやっとのことで購入。



定番の「ミカドコーヒー」の「モカソフト」は、大行列でこちらも諦め、お昼過ぎに帰途へ。




結局、実母へのお土産なんて何も買えず、鬼押し出し園帰りの鬼押しハイウェイ途中の「浅間六里が原休憩所」で買ったとうもろこしと、パン、ソーセージ類が自宅へのお土産になった。


夏休み突入すぐの軽井沢、混みすぎ。でも、雨にも会わず、帰りの関越道、外環道もスイスイ、お天気も晴れ間いっぱいで、久々の軽井沢、わたしとしては、まずまず、楽しめ、満足。何よりもいたるところで「バリアフリー」が実現されていて感謝。どこでも、トイレにも困らず、安心できた。ハルニレテラスの階段だけがちょっと面倒だった・・・でも、基本、スロープが完備されていて、全体的に困ることは、何もなかった。
帰宅は、4時少し前。
夫婦ふたりで「スシロー」へ。この日は「土用の丑の日」だったので、「ウナギの握り」も食べて大満足。100円でも十分美味しい。

日に日に会話もなくなる結婚24年目の夫婦にとって、こんなたまの「ふたり旅」はいいもんだ。
なんとなく、普段よりも「会話」して、穏やかに時間が過ぎる。
私と出かけるのはいろいろ面倒だろうけど、連れて行ってくれることに大感謝。
私達夫婦もいろいろあったけど、私の努力や、「心がけ」次第で、やや仲も改善気味。「日々の反省」は大事だね・・・。今度は「秋」にまた紅葉かなあ・・・。去年は河口湖だったから、今年は「箱根」がいいかなあ・・・。
次の日帰り夫婦トリップを考えるのも楽しい。来年こそは熱海の花火大会を1泊で見てみたいなあ・・・。



その前に「車椅子を楽々押してもらえるよう痩せなきゃ」だわ・・・。

実感!!

f:id:akoichikawamama0714:20190729101950j:plainf:id:akoichikawamama0714:20190729094127j:plainf:id:akoichikawamama0714:20190728092211j:plainf:id:akoichikawamama0714:20190728092129j:plain
軽井沢…お土産とハルニレテラス、担々麵、別荘通り、鬼押し出し、快晴♥