あこままのもやもや日記

2015年春に脳梗塞で救急搬送。原因は脳の難病である「もやもや病」であることが判明。2015年夏に右脳のバイパス手術を受けるが、後遺症で、左半身麻痺=「左片麻痺」に。絶望の淵からたちあがり、リハビリを続け、専業主婦として生活していく闘病、リハビリの記録。明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」が座右の銘。

台風15号千葉に上陸、体験したことのない怖さ

9月に入り、第1週目の土日。日本近海に台風がやってきていた。15号。9月に入っても、猛暑は続いていた。熱帯夜、うだるような暑さ、9月に入っても一向に涼しくなる気配はなかった。そんななか、日曜日、9月8日の夜、風も強くなり、雨も降りだした。小田原、伊豆方面はものすごい強風と雨に見舞われていた。23時過ぎのニュースでは既に「明日の東海道新幹線は、始発から運転とりやめ」と計画運転を告げていた。
勢力は割と小さいものの、コンパクトなので、上陸した際には猛烈な暴風雨に見舞われる模様と予想していた。
いつも通り、24時を過ぎたころ、就寝。外は強風と雨で荒れていた。土砂降りの雨が、私が眠る部屋の外の雨どいを激しく流れ落ちる音で、眠りにつくのにいささか時間が必要だった。それくらいひどい豪雨だった。なんとか眠りにつき、夜中3時ころ、外の異様な風の音と、物が周辺に飛んでいく音で目が覚めた。今までに体験したことのない激しい風の吹き方、雨の降り方に真っ暗な中、恐怖すら感じた。
朝6時過ぎ、夫が起床、テレビのニュースが、公共交通機関のストップを報じていた。夫が利用する東京メトロも軒並み停まっていた。運行開始のめどはたっていなかった。何があっても止まらない我が家の沿線、最強の新京成線もストップ、びっくりした。夫は会社には行けず、その日からテニス合宿を予定していた次男も夏休み最後の合宿を中止にした。航空機も軒並みストップ、その頃、夜中の3時すぎに「千葉市に上陸」したとニュースが流れた。
雨の降る中、閉まっていた雨戸を開けると、わが家の車庫には、異様な光景が。車庫の蛇腹は大きく開閉、車庫に置いてある自転車は当然転倒、車庫の中には見たことのない、どこからともなく飛んできたと思われる板の数々が散らばっていた。
朝、7時を過ぎても風雨はおさまることなく、上陸した千葉市の映像を見てそのひどさに驚いた。
その日の午後、週2回来てくれるヘルパーさんがやってきた。聞くと、彼女の住まいはわが家から少し離れた場所だが、朝から「停電」と「断水」が続いたままだという。
わが家には特に被害らしきことはなにもなかったので、ほっとした。が、近所の地元では有名な桜の名所になっている公園では、桜の木が数本倒れ、近所の桜並木も、倒木が何本かあり、歩道をふさいでいることを聞かされた。
歩いて20分ほどの私の実母が一人で暮らす実家は、家屋が古いためか、屋根が一部飛んだと連絡があった。実母には何もなかったが、80を過ぎた高齢の母が屋根がなくなった2階の部屋で、雨漏りの処理を夜中にしたことを思うと、胸が痛んだ。
今回、50年少し生きてきた中で「経験したことのない」台風を経験。しかも、台風から10日以上過ぎた現在でも千葉の南部はいまだ停電や断水に見舞われている。
東電ばかりが責められるが、なにより、千葉県知事は何をしていたんだろうとわたしは思う。風水害は予想のつくもの。天災、自然災害といっても、台風の進路や風雨の予想は、今の気象庁の情報力ではある程度予想できたはず。なのに・・・。
そして、こんなとき、この頃私がとにかく不安に感じるのは、「災害、例えばこの先、大地震とか、が起きた時、足の不自由な私はどう逃げればいいんだろう?」・・・と真剣に思う。身体は思うように動かないし、歩くのだって限界がある。避難するのも一苦労だ。それを考えると、本当に怖くなる。家族だって、それぞれ「自分の命」がある。
また、身をもってこれからの自分を案じてしまった台風だった。